年末のおせち料理でおなじみ、ニシンの卵「かずの子」。
年末年始が近づいてくると、あのパリポリとした歯ごたえが恋しくなってきます。
冬の風物詩ですね
今回は、そんなかずの子について。
どうしてニシン子じゃなくてかずの子なのか?という名前の由来や、
おせち料理として定着していった変遷についてお伝えします。
「数の多さ」だけじゃない、 かずの子の由来。
かずの子は、ニシンの卵。
ニシンと言うと、同じく年末に食べられる「にしん蕎麦」などが有名ですよね。
京都名物の「にしんそば」に使われているニシンは、身欠きにしんという干物です。
ニシンを干す際に内臓がある腹部を切り落としていたことから、「身欠き」と呼ばれるようになりました。
これを甘辛く炊いて、蕎麦に乗せたのが「にしんそば」。
脂ののった甘辛のニシンと温かいお蕎麦の組み合わせは、冬の冷えた体に染みてほっとする美味しさです。
ニシンは昔、「かど(かどイワシ)」と呼ばれていました。
ニシンはイワシと見た目が似ているので、小型になるとどうにも見分けにくい。
そこで、頭が角ばっているイワシということで「かどイワシ」と呼ぶようになったそうです。
(※諸説有り)
そこから
かどイワシの子→かどの子→かずの子 と
徐々に変化し、現在のように「かずの子」という名称で親しまれるようになりました。
また、有名な説に卵の数が非常に多いため数の子と呼ばれた、というものもあります。
漢字の「数の子」はこちらから取られてそう!
ニシンの漢字には「鰊」と「鯡」が当てられています。
鰊:つくりの柬は若いの意味。
小魚である、という説。
鯡:つくりの非は否定の意味。
成魚になりきっていない魚、という説。
室町末期に書かれた『節用集』(昔の国語辞典のようなもの)に「鯡 ニシン」として表記があるので、漢字としてはそれくらい昔から使われているようです。
江戸以降には、
・米が取れない藩が年貢の代わりとして納めたため、米のような魚
・北海道で豊漁が続き、二親(両親)くらい尊い魚
というような意味でも鯡という字を使用されていました。
どうしておせちの定番に?
かずの子が文献として登場するのは、室町時代に13代将軍 足利義輝にかずの子が献上されたという記録まで遡ります。(1463年「山科家礼記」)
当時はまだ、現在のような塩かずの子ではなく干しかずの子が主流でした。
その後、流通量が増加。
かずの子の粒の多さや、親魚の名前(ニシン=二親)が子孫繁栄を連想させる事から、縁起物として用いられるようになっていきました。
江戸時代には、倹約で有名な8代将軍 徳川吉宗が
「正月だけは、富める者も貧しい者も同じものを食べて祝って欲しい」
と、おせち料理に数の子を加えることを推奨していたとも言われています。
今では高級品の数の子ですが、当時ニシンはよく獲れる魚であり、倹約の対象にはならなかったと推測されます。
余談ですが、今も食べられているおせちの定番
数の子・黒豆・ごまめ(関西ではたたきごぼうが入る場合も)は、江戸時代の中頃にはすでに定着して食べられていた、この質素倹約節約おせちの名残でもあるようです。
干しかずの子、塩かずの子
室町〜江戸時代は冷蔵技術がなかったため、かずの子と言うと干しかずの子が一般的でした。
現在、スーパーなどで目にするかずの子は、基本的に「塩かずの子」。
もしくは、すでに味付けされている「味付けかずの子」がほとんどです。
干しかずの子を見たことがある方は少ないかもしれません。
干しかずの子は茶褐色で、戻すと重量は3倍ほどになるそうです。
水分が抜けている分旨味が凝縮され、口の中に入れるとかずの子の味や香りがいっぱいに感じられるとのこと。
何より、かずの子のパリポリとした食感は、塩かずの子に比べ干しかずの子の方がしっかりと感じられるそうです。
ただ、作る手間と戻す手間(数日かかる場合も)から、現在では干しかずの子の方が希少品として扱われています。
食通で知られる北大路魯山人は、
「干したものを水で戻した方が元の生より美味しい」と、干しかずの子を絶賛。
元に戻す手間、製造コストなどから、今や魚卵界の絶滅危惧種となった干しかずの子。
料亭や北海道で見かけた際は、一度味わってみられると良いかもしれません。
塩蔵かずの子が造られ始めたのは、1900年代(明治30年以降)のこと。
食塩水にかずの子を数時間浸してつくり、保存させます。
食べるときは塩抜きが必要なのですが、この加減がなかなか難しい…。
最近は味付けかずの子も種類が増えていますので、塩抜きに慣れない方はすでに味が決まっている味付けかずの子を選ぶのもおすすめです。
好みの味を探すのも、また楽しい